ワンダフルストーリーvol.6 「菖蒲のコーヒーカップ」

菖蒲のコーヒーカップ

上原さまは、皇居近くの一等地のお宅に奥さまが一人で暮らしています。奥様は、病院に通う以外は家に籠りっきりと聞きました。生活の中心となるリビングとキッチン、和室、お風呂、トイレなどのお掃除と家事を担当することになりましたが、初日は少し気構えて伺ったことを覚えています。
さっそく掃除機をかけようと、換気のためにリビングの窓を細めに開けると、ベランダの手すりに鳥のフンがたくさん付いているのが目にとまりました。乾いたフンは飛び散って、肺炎などを引き起こすこともあるといいます。磁石を置くとすずめや鳩が寄ってこないとも聞いていましたので、「ベランダもお掃除しましょうか」と言いかけて、“もう少ししてから”と思いとどめました。
何回目かに伺った時に、「次回、磁石を持って来ますので…」と申し出ると、「そうね、きれいになるなら、やってちょうだい」と、奥さまは少しためらいながら承諾されたのです。拭き掃除をして磁石を取りつけたところ、汚されることはなくなりました。

介護は全てのお世話をしてもらう事になるでしょう、そうなった時には藤村さんのようなやさしい方に介護をお願いしたいわ。

「藤村さん、あなたが来るのを待っていたのよ」お宅に着くやいなや、キムチのビンを渡されたことがありました。戴きもののキムチの蓋が開けられないというのです。
「どうやって食べるのかしら?」
「温かいご飯と食べるのが私は一番好きですけれど、豚肉と一緒に炒めて豚キムチにしたり、それくらいしか思いつきませんが…」
一口ほお張って、辛いけれど美味しいのねと、初めて食べるキムチの味は、ビンを眺めていた分、美味しかったようでした。
自宅に知らない人物が入る事は、だれでも最初は抵抗を感じます。奥様も当初は私が作業でご自宅に伺う事に慣れる時間が必要だったと思います。最初はあまりお話もされない様子でしたが、だんだんと奥様から話かけてくれるようになりました。
そして、まだ作業に入り半年も経っていない時、奥様からとても嬉しいお言葉を頂きました。
「あなたの会社には介護サービスはあるの? 介護は全てのお世話をしてもらう事になるでしょう、そうなった時には藤村さんのようなやさしい方に介護をお願いしたいわ。」
まだ奥様と出会って1年も経って無い時に、このようなお言葉を頂けるのはとても嬉しく思いました。

「私ね、このロールケーキ食べてみたいのよね、でも、外には行けないでしょ」と悲しげな顔をされたのです。

作業が終わるのは4時で、いつもお茶とお菓子をご用意くださいますが、その時間はちょうど奥さまの大好きな「水戸黄門」のテレビ番組が始まるときなのです。戴かないで帰ろうとすると、引き留められました。奥様の困った様子が伺えましたので、自分でお茶を入れて「ご馳走様でした」と帰るようにすると、「お茶を飲んでいってくれた」と奥さまも納得されているようでした。
それからこんなこともありました。
リビングで百貨店のチラシをご覧になりながら、有名店のロールケーキが先着何名に販売と書かれているのを指差して、「私ね、このロールケーキ食べてみたいのよね、でも、外には行けないでしょ」と悲しげな顔をされたのです。数日後、たまたまそのデパートの近くに立ち寄ったので、売り場に行ってみたところ、お昼近くでしたのでロールケーキは完売。お話しだけでもしようと思い、売り切れで買えなかったと申し上げると、「気に留めていてくれたのね」と。
お風呂場で転んで、足首をねじって痛いとおっしゃっていたときにも、お風呂の床の滑り止めを義母が使っていたことを思い出し、滑り止めのことや湿布薬を張られるといいとおすすめすると、「気遣ってくれて、嬉しいわ」とおっしゃっていました。

バラよりももっと好きなお花があるのよ。あやめが一番好き!

上原さま宅に通いだして1年がたつ頃、こうして続けさせていただける感謝の気持ちを表すために、何かプレゼントをしたいと思いました。奥さまは宝塚がお好きで、「ベルばら」のイメージでテーブルや置き物など、部屋のインテリアをしつらえていらっしゃいますので、お掃除をしながらさりげなくお聞きしたのです。
「お花ならバラが一番お好きですよね。何色がお好みですか?」
「バラよりももっと好きなお花があるのよ。あやめが一番好き」
見渡してもあやめに関するものは何も置かれていなかったので意外でしたが、以前、招かれた園遊会であやめのお着物をお召しになったところ、美智子皇后と同じ柄だったとのこと、「今度見せてあげるわね」と嬉しそうに話してくださいました。
季節は秋、あやめの生花は手に入りません。あやめをモチーフにした小物を探しましたが見つかりません。

私のことを思いながらいろいろ考えてくれた、その気持ちが何よりもうれしいと、ニコニコしながらおっしゃってくださったのです。

お掃除をしながらどうしようかと思っていると、ふと、お台所の水きりに伏せられたコーヒーカップが目にとまりました。奥さまはそのカップ1つでお茶も、コーヒーも、お味噌汁も飲まれます。
“あぁ、これがいい”
いつもお使いになるカップにあやめの柄が付いていたら、大好きなあやめと一緒で、きっと喜ばれると思ったのです。
絵付けの陶器を作られる方を知っていましたので、特別に1つお願いすることにしました。持ちやすい大きさや使い勝手の良さを伝え、あやめの模様を決め、お皿にお名前を入れてもらうことにしました。
そして、届いたのは世界にたった1つの、あやめの柄が付いた和洋折衷のコーヒーカップでした。「1年間ありがとうございました」とカードを添えて、「奥さまの大好きなあやめをコーヒーカップに描いてもらいました」とお渡しすると、
「私こういうプレゼントが一番うれしい!」私のことを思いながらいろいろ考えてくれた、その気持ちが何よりもうれしいと、ニコニコしながらおっしゃってくださったのです。

お客様から言われたことには最善を尽くし、「できません」と言う言葉を簡単に口に出すのはやめよう

初冬に入った頃、ご家族の方から家事サービスを終了したいと連絡を受けました。奥さまは腰を痛めてベッドから起き上がれなくなり、ご家族が面倒を見られることになったのです。
この仕事をするにあたって、私の中で決めていたのは、お客様から言われたことには最善を尽くし、「できません」と言う言葉を簡単に口に出すのはやめようと思っています。上原様にもできる限りのことをさせていただいたつもりですが、心残りがあるとすれば、
「ねぇねぇ、100円ショップとか巣鴨のお地蔵さんって行ったことある?」
「回転ずしって、好きなものを取って食べられるんでしょ?」
と、庶民的なところに興味津津だった奥さまを、一度そういったところにお連れしたかったということです。
2年目の感謝のプレゼントは「100円ショップツアー」でお好きなものを何でも買っていただく券をお出ししよう。
巣鴨のお地蔵さんや奥さまが行ったことがないところにお連れするのもいいかしら。
銀座の回転ずしなら奥さまもお連れできるかもしれない……といろいろ思い浮かべていました。それらの計画はみな幻になってしまいましたが、100円ショップや回転ずしを目にするたびに、“どうしていらっしゃるかな…”と思い出され、私の中で奥さまをいつまでも忘れないでいられるように思うのです。
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